今朝、部屋を片付けていたら、フッと目にはいった、娘からの手紙。
真っすぐに、溢れる愛を表現してくれたもの。私の一生の宝物。
娘は、日々、こっそりと、いろいろな場所へ「ママ大好き」を落書きや手紙に忍ばせてくれていて、私が後から気づくのを楽しんでいる。
今朝、目にした、娘の可愛いいたずら心になぜだか、いつも以上に、胸がじんわりとなりました。
「あゝ、私はすでに、長年、人生で追い求めてきた欲しかったものを充分に手にしているかもしれない」と、心の温かさで知ったような気がします。言葉にならない、胸の想いが、熱い涙に変わっていくことから…。
そこで、私は、気が付いたのです。
私が、この人生で、沢山経験したかったもの、味わいたかったもの、大切に慈しみたかったのは、コレじゃないか…と、ハッとしました。
言葉にならないグッと胸が熱くなる愛しさ。
それは、ささやかな日常に散りばめられていて。
キラキラと眩きながら、現れては消えていく。
ふれ合いによる、瞬きの火花のような一瞬。
これを私は「生命の刹那な時間(たまゆらの時間)」と呼んでいたんだと。
一瞬の刹那のうねりに、永遠と無限がある。
そう、この「愛おしい」想いは、時空を超えて、確かに、永遠に無限に響き続ける力をもっている。肉体を失っても、その想いを受け取ったものは、愛おしさの光と熱を自分の内に灯しつづける。
そうかぁ。。。
ここ数か月、様々な陰と陽を行き来するような出来事や思うことを経て、大きく何かが変化しようとしているのは気づいていて。そして、私自身を生かしている奥底の声は、何かこれまでとは違う「私の在り方」へと押し出そうとしているのも感じてきたのですが。
それが、これだったんだ。
私が、生きていく中心に据えるもの。据えたいもの。
それは、愛おしいと感じられる経験。
「愛おしい」は、私一人でいる時に、生まれるものではなく。
誰かと、世界と、ふれ合ったその瞬間に、突然に偶然にフッと訪れるもの。
でも、それが生まれる土壌は、日々の関りの中で、耕されていってこそ。
勝手に起こるものでもなく、自分とその存在を大切に思い合う ‘ あいだ ’ で、見えない時間に蓄積されたものが、時々、小さな火花のように、奇跡的な出来事を通じて輝きを見せてくれるのだと思うのです。
「奇跡が日常になる」とは、こうした、見えないプロセスと関係性が働いていたんだ、と。
私は、今ここで、自分の中心軸となる指針を変えようと思います。
人生において、日々の暮らしにおいて、これからの事業において。
この「愛おしい」を中心に据えて、生きていきます。
その世界へ、旅に出ます。
そして、自分だけの、その人だからこその、人生の奇跡と胸の熱を、生み出し、経験を集めていく。
そう、私が、その人が、生きた一瞬の火花であり、後世に繋いでいきたい宝物として。
この胸の響きは、起きたその瞬間に、世界に響き渡っていく波となり、熱となってくれるから。
特別な何かをしなくても、時空を超えて、きっと、誰かを温めてくれたり、世界の美しさとして編まれていく。
蝶が羽をひと羽ばたきするだけで、地球の裏側にも伝わっているように。
ここに、宣言することで、その世界をより拓いていこうと思います。
今までの、すべての出会いと経験に、ありがとう。
自分の内にある、この想いに気づけたことが、今日はとても嬉しい今です。